Sounds of infinity: <br>AlfredoとAmnesia

Sounds of infinity:
AlfredoとAmnesia

UKアシッドハウスの原点

1980年代、スペイン・イビサ島は単なるリゾート地ではなかった。そこには、後のダンスミュージックシーンに革命をもたらす、あるDJとクラブの物語があった。

そのDJとはAlfredo Fiorito、そしてクラブはAmnesia。この2つの存在が交差することで、イギリスのアシッドハウスムーブメントが誕生し、UKレイヴ革命の火種が生まれた。

本稿では、Alfredo & AmnesiaがUKアシッドハウスに与えた影響と、どのようにしてダンスミュージックの歴史を変えたのかを掘り下げる。


Amnesia: イビサの伝説的クラブ

イビサ島のクラブ文化は1970年代から徐々に発展していたが、その中でも特に象徴的なのがAmnesiaだった。

元々は18世紀の農家だった建物を改装し、1976年にナイトクラブとしてオープンしたこの場所は、オープンエアのダンスフロアエキゾチックな雰囲気が特徴的だった。

Amnesiaの特徴

  • 開放的な屋外フロア(夜が明けると朝日が差し込む独特の雰囲気)
  • 音楽の自由度が高い(既存のジャンルに縛られず、多様なサウンドをミックス)
  • 国際的な観客(イビサを訪れる世界中の観光客が集う)

このクラブが後にUKアシッドハウスの起点となるのは、1983年にあるDJがレジデントを務めるようになったからだ。


Alfredo Fiorito: バレアリック・ビートの創始者

Alfredo Fioritoはアルゼンチン出身のDJで、1980年代初頭にイビサへ移住し、AmnesiaのレジデントDJとなった。

彼のプレイスタイルは、それまでのDJとは全く異なっていた。「ジャンルの壁を完全に取り払った、自由な選曲」が彼の武器だった。

Alfredoのプレイリストの特徴

  • シカゴハウスとディスコを融合(Frankie KnucklesやRon Hardyの影響)
  • ニューウェーブやポップもミックス(Talk Talk, The Cure, New Order)
  • アフリカン・リズムやラテン要素も取り入れる

この自由なスタイルは、後に「バレアリック・ビート(Balearic Beat)」と呼ばれるようになる。

バレアリック・ビートの定義

  • イビサ発祥のエクレクティックなDJスタイル
  • ハウス、ロック、ポップ、ラテン、ニューウェーブなど多様なジャンルをミックス
  • 感情的なフローを重視し、フロアのエネルギーを最大限に高める

この音楽体験こそが、後のUKアシッドハウス革命を引き起こす要因となった。


1987年: UK DJたちのイビサ体験

1987年、Danny Rampling、Paul Oakenfold、Nicky Holloway、Johnny Walkerといった若きUKのDJたちがイビサを訪れ、AmnesiaでAlfredoのプレイを体験する。

彼らが受けた衝撃

  • 選曲の自由度が圧倒的(ジャンルの垣根がない)
  • 音楽とMDMA(エクスタシー)の融合による高揚感
  • 夜明けまで踊り続ける解放的なクラブ体験

彼らは、この体験をUKに持ち帰り、ロンドンでアシッドハウスムーブメントを立ち上げることを決意する。

影響を受けたDJとクラブ

  • Danny Rampling → Shoom(UKアシッドハウスの発祥地)
  • Paul Oakenfold → Spectrum(UKのレイヴカルチャーの礎)
  • Nicky Holloway → The Trip(新世代のUKクラブ)

Alfredoのスタイルが、そのままUKのクラブシーンを変革する引き金となった。


Amnesia & Alfredoが与えた影響

1. UKアシッドハウスの誕生

  • Alfredoの選曲が、ロンドンのShoomやSpectrumのスタイルに直結
  • アシッドハウスの「ジャンルレスなDJプレイ」の基盤を作る

2. レイヴカルチャーの発展

  • イビサの「夜明けまで踊る」スタイルが、UKのレイヴフェス文化へと進化
  • 1988年以降、Energy, Sunrise, The Haciendaといった野外レイヴが急増

3. フェスティバルのグローバル化

  • バレアリック・ビートの影響が、90年代のフェスブームへと繋がる
  • Glastonbury、Creamfields、Love Paradeなどがこの流れを継承

まとめ

  • Alfredo & Amnesiaは、UKアシッドハウスの起源である
  • バレアリック・ビートの誕生が、DJ文化を「ジャンルレスなもの」へと変革した
  • UKのDJたちがイビサで得た体験が、ShoomやSpectrumを生み、UKレイヴ革命を引き起こした

AlfredoがAmnesiaで作り上げた「音楽の自由」は、今も世界中のクラブミュージックの中に生き続けている。

参考文献

Sounds of Infinity :
Exploring timeless musical masterpieces.

  • Sounds of infinity: <br> Jah Shaka と Phebes

    Sounds of infinity:
    Jah Shaka と Phebes

    1980年代のロンドン。アンダーグラウンドのクラブシーンで、爆音のダブ、スピリチュアルなルーツ・レゲエ、重低音のグルーヴが鳴り響く空間があった。その中心にいたのが、UKサウンドシステムの伝説、Jah Shaka。

  • Sounds of infinity: <br>Danny Rampling & Shoom

    Sounds of infinity:
    Danny Rampling & Shoom

    1980年代後半、UKクラブシーンはかつてない変革を迎えた。その変革の起点となったのが、Danny Ramplingと彼のクラブ「Shoom」である。1987年、RamplingはイビサのDJ Alfredoから受けた衝撃を持ち帰り、ロンドンに新しい音楽と体験を根付かせた。

  • Sounds of infinity: <br>AlfredoとAmnesia

    Sounds of infinity:
    AlfredoとAmnesia

    1980年代、スペイン・イビサ島は単なるリゾート地ではなかった。そこには、後のダンスミュージックシーンに革命をもたらす、あるDJとクラブの物語があった。そのDJとはAlfredo Fiorito、そしてクラブはAmnesia。この2つの存在が交差することで、イギリスのアシッドハウスムーブメントが誕生し、UKレイヴ革命の火種が生まれた。